少年たちの終わらない夜 鷺沢萌

少年たちの終わらない夜

少年たちの終わらない夜


きっかけ
鷺沢萌という名前は中古でよく見て気になっていた。さらに題名にひかれてこの本を買った。


ネタバレ・あらすじ
少年たちの終わらない夜
主人公は川野真規。高校3年生でバスケ部のキャプテン。そんなに美人でもないが、ちょっと変わっている笠井陽子と付き合っている。今までの相手とは違い、未だに寝ていない。
負けるのが嫌いな真規は最後の引退試合で、相手でフェンスを突き飛ばしてなんとか勝った。それを見ていた陽子は真規を理由もなくこわいという。その後、うつ状態の誰にも会いたくない陽子に会いに行くが、陽子は世界のすべてがこわくて、自分が嫌で、真規のことも本当は好きでないという。真規は絶望して、飲みに行った。
その帰りに引退試合の時の相手に見つかって、その時のズルの仕返しに殴られた。真規はその復讐方法を考え続けることだけが、今の崖っぷちの状態を維持するために1番大事なことだった。


誰かアイダを探して
主人公の僕は、アイダとバーで出会った。突然ドライブに誘ったが彼女はついてきた。それから毎日アイダとは会っているが、彼女のことはよく分からない。19歳という年齢の割りに大人びているだけだ。食事先での子供に機嫌を悪くしたり、その1分後にはすぐに機嫌を直したりと、コロコロと気分が変わる。
アイダは20歳になったらと言いかけ、全て嫌になったという。自分がいなくなっても誰も気づかないかもしれないという。ずっと楽しいままでいることはできなくて、区切りをつけないといけない。そんなことばかり言ってどこかに消えてしまいそうなアイダがどこにも行かないように、僕は道でとんぼ返りをしたり、キスをしたり、本当に楽しいことをする。
次の日、アイダは本当にいなくなってしまって、それでも僕は学校に普通に通っている。今なら僕はアイダの言葉の本当の意味が分かる。20歳になったら何をやっても普通になってしまうという気持ちをアイダと共有したくて、いなくなったアイダを僕は探す。


ユーロビートじゃ踊れない
主人公のヒロシは、肌は白く髪も茶色で目は緑色。ハーフかどうか本当のところは本人も知らないが、ただ育ててくれた祖母は、その性質のせいかヒロシを憎むように嫌っていた。目の色に代表される曖昧さは、どこにでもとけこめるという性格もヒロシに与えていた。
高校生になると一人暮らしをはじめ、倉庫街で港湾労働者として働いている。夜には居酒屋のバイトもしている。そして、土曜の夜にはリューイというディスコで遊ぶようになった。
そのリューイで年上の暁子と出会う。フーズボールの合間にもうまく声をかけられなかったが、向こうから離しかけてきて、高級車で送ってもらうことになる。次の週も2人はあってデートをする。しかし、ディスコの古株は暁子はダメだと忠告してくるが、ヒロシには意味が分からない。
2人は、空を飛ぶというよりも、空の低いところを泳いでいる夢を見ることを話す。暁子はその夢で自分が誰からも注目されないことをこわいという。その後、ヒロシは車の運転をさせてもらい、海に飛び出すわずか30センチ手前で車を急停車させた。それに対して暁子は驚いて泣いていた。
それから2人は毎日会ったが、暁子はヒロシのことを刹那的だという。それでも暁子はヒロシに惹かれていく。ヒロシも惹かれていくのだが、自分の曖昧さの内側にいない暁子はダメなんだと気付く。それは暁子が1番生きた表情をしていた曲では、ヒロシは踊れないという言い訳をつくりだした。


ティーンエイジ・サマー
小中高と12年間同じ学校通った仲間がいた。今は、高校卒業後の初めての夏を迎える。親の金でアメリカに留学した浩次、理由は分からないがバイトでお金を貯めているリン、勉強して北大に受かった良ちゃん、主人公の僕と梶井はなんとか受かった大学に通っている。
大学で出会った友達はみな、大学に入ったから何かをしなくてはいけないという常識にしばられていてなじめない、だから、未だによく高校の仲間と遊んでいる。大学で昔遊んだ女の子がイスパニック学科という難しいものを弁居していて、翻訳家になるんだという。もう遊ぶことなんか考えてなくて、夢という落ち着いたものを手に入れたという。
10代最後の夏に仲間で集まる。大学に入るともう姑息にしかあそべない。でも、そんなことはできなくて、楽しいことも消えていく。僕の自慢のリンはお金を貯めて、アメリカに行く気らしい。いつでも楽しいことをしようと思っていたリンは、20代になったらできないことをいつまでも追いかけていくんだ。


感想・レビュー
遊んでいるが、どこか楽しめない年齢や気分になったものが、切なく書かれている感じがする。言いようのない不安とか、欠落感が見える。何もできるわけじゃないけれど、少年たちの夜は終わらない。つまらないから、ただ意味のない遊びをするしかないのだ。


こういう気分をどれだけたくさん味わってきたのだろう。みんな1度は感じてきたことかもしれない。ただ僕は今でもよく諦めと一緒に感じる。まだ少年なのだろうか。10代じゃないと楽しめないことはたくさんあったが、あまりやってきた気もしない。でも、20代になっても30代になっても、いつまでも10代にできなかったことは重くのしかかるのだ。